去る11月15日・16日、ハマトラの第10回復興支援活動に参加しました。
陸前高田の子ども達の様子や復興の歩み、参加したことで得た「想い」を多くの方にお伝えしたくて、このレポートを書くことにしました。
復興支援活動レポート
<14日>
24時前、横浜駅西口から陸前高田市を目指して出発。車中泊、途中SAで休憩をはさみつつ。
<15日>
午前9時頃、陸前高田市の 横田小学校へ到着。
子どもたちとのフットサル交流会は10時からの予定でしたが、体育館前にはすでに10名ほどの子どもが集まっていました。この日を楽しみにしていてくれたと思うと、長旅の疲れも一瞬にして吹き飛びます。
子どもたちとの挨拶もそこそこに、フットサルチームと昼食担当チームがそれぞれ準備に取りかかります。
10時、体育館で横田地区の子どもたちとのフットサル交流会がスタート!
集合→挨拶→準備体操→基礎練習→チームわけ(高学年2チームと低学年3チーム)→ゲーム の流れで行われました。
何度もこの活動に参加している方が、「チームに少し運動の苦手な女の子がいたけれど、まわりの子たちがその子を気遣いながらゲームをしていた。成長してるなと感じた。」と話していたのが印象的でした。
午前中の体育館は、総勢30人の子ども達のたくさんの笑顔と活気で満ちあふれていました。
12時、おでん昼食会が開かれ、お腹を空かせた子どもたちが、仮設住宅の一室を改造した集会室の9畳のスペースに押し寄せてきました。ぎゅうぎゅう詰めの状態で、用意されたおでんを美味しそうにほおばります。ちなみに、子どもたちに人気だったのは玉子と大根。
約1時間後、たらふく食べたあとは再び体育館へ行く子も。キックベースなど思い思いに楽しんでいました。
今回は食事スペースが子ども達であふれていたために現地の大人の方が室内に入れず、お話する機会はほとんどなかったのですが、「こうして忘れないでいてくれることが嬉しい。」とおっしゃってくれていたとのこと。
楽しい時間もあっという間に過ぎ、16時には解散。
お借りしていた集会室と体育館の片付けを終え、宿泊先である二又復興交流センターへ移動。
各自入浴を済ませ、市内で夕食、談話室でお疲れさま会のあと、24時に就寝。
こうして私たちは、陸前高田での1日目を終えました。
<16日>
朝食を済ませ10時頃二又復興交流センターを出発。
この日の行程は、市内見学と物産品購入→昼食→帰浜。
まず最初は、かさ上げのための土を運ぶベルトコンベアーに囲まれた一本松茶屋に立ちより、物産品を購入したり、茶屋から徒歩10分ほど先にある「奇跡の一本松」を見学したり。
そのあと、震災当時のまま残されている気仙中学校、雇用促進住宅を車中から見ながら昼食場所へ移動しました。
昼食は「かき小屋広田湾」で、目の前の港で水揚げされた新鮮なかきを頂きました。
昼食後、この活動の最後に訪れた場所は、道の駅高田松原(タピック45)。
まず目に飛び込んできたのは、入り口広間に突き刺さった巨大な松の木。津波で押し流され、行き場を失った松の木が当時そのままの姿で残されています。
敷地内にある「街づくり情報館」では、高田松原や市街地など震災前・震災後の風景写真を掲示。復旧・復興の歩みをパネルで紹介しています。
それぞれが見学を終え、14時頃陸前高田市を出発。
22時頃横浜駅周辺到着、解散。
2日間晴天に恵まれ、怪我なく、体調を崩す人も出ずに無事に復興支援活動を終えることが出来ました。
復興支援活動を終えて
この度、活動を企画・調整して下さった方々、現地で暖かく受け入れて下さった陸前高田の皆さま、本当にありがとうございました。
初めての復興支援活動で、まわりは初対面の方ばかり。最初は不安な面もありましたが、皆とはマリサポ同士で繋がっているんだ!という安心感もあり、また気さくな方ばかりで、性別・年齢関係なくすぐに打ち解けることが出来ました。おかげで最後まで楽しく安心して参加することが出来ました。ありがとうございました。
そして、今回の復興支援活動を通して、私は東日本大震災を忘れないでいようと心に決めることが出来ました。
発生からもうすぐ4年を迎え、人々の記憶から震災での出来事は薄れてきているのではないでしょうか。
私たちが忘れないでいることで、被災された方々の気持ちにほんの少しでも寄り添うことが出来たなら、嬉しいです。
ちゃき